昔の檜原村物語

 
    太古の檜原村、大昔の檜原村、少しばかりの昔の檜原村 にタイムスリップをしてみませんか。
 
ご案内役: 檜原村出身 岡部駒橘
 
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  「大岳」 の 「はじめのことば」

岡部駒橘
 
教職の道を歩ませていただき四十年の歳月を経た現在の所感は「光陰矢の如し」の古言が実感として迫ってきます。

この年月を自分としてはその日その刻を全力を傾注して過ごした様な感もありますし、広大無辺な時の流れに為す事もなく経過したようにも思われます。

然し自らの存在する證として自己の歩みを三部作にまとめてみました。

第一部は西秋留小学校三年間の「学校だより」で家庭に配布した記事を載せました。
第二部は近頃まとめた駄作の歌詞を心臓強く集めてみました。
第三部はつまらない物語を載せましたが、私自身興味と関心があり真剣に取り組んだつもりです。

皆様方の暖かいご叱(しっ)正とご指導を賜ればありがたいと思います。
岡部駒橘
 
     昭和六十二年一月
 
 

  「大岳」 第三部  「物 語」  は次のような言葉で始まっています。

郷土の歴史を知りたい。なぜ高い山があるのだろう。
これが小さい時からの夢であり疑問でした。浅間尾根や大岳・尾根通り、湯久保そして八坂神社の森を眺めながら育ったせいでしょうか。

第三部「物語」の部では、広く深い檜原村の一部分をまとめたので、紹介します。

あくまでも伝説や自分のたてた仮説を調べて物語にしたもので、歴史的事実の実証ではありません。

これがきっかけで正確な歴史が解明されれば幸いです。どうぞ気楽に読んでください。
 
 

  編集担当からひとこと

このホームページは、「大岳」(著者:岡部駒橘)として発行された本の
第三部 「物語」 を 「昔の檜原村物語」 として再編集したものであります。

著者、岡部駒橘氏は、檜原村出身で教職の傍ら長年檜原村の歴史の研究をされてきたので、「物語」も大部分が檜原村に関するものになっています。

檜原村の歴史についてもっと知りたいという方は、
姉妹ホームページ「地名が教える古い檜原村の歴史の足音」をご覧ください。

「大岳」が執筆されたのは、約25年も前であります。
ですから、檜原村の今として紹介されている内容も、少しばかり昔の話になります。

このホームページを通して太古の檜原村、大昔の檜原村、少しばかりの昔の檜原村にタイムスリップをしてみませんか。

そして、今の檜原村を体験したいと思われましたら、直接お出かけください。
檜原村の人達が暖かく迎えてくれることでしょう。

        編集担当   青木一男      (平成24年6月)

大岳 大岳の表紙
 

  檜原村の今の紹介   その一部

この橋を渡ると
まもなく檜原村です。
白矢の地から南の方角を見た景色
車で行ける所からでもこんな景色が見られます。

  橋の上から見たハッタテ近くの秋川
ハッタテ近くの都道から橋に通じる道があります。

神戸岩


 御前鑾(ごぜん すず)神社の祭りの際に
祠のそばに立てられた旗(郷土資料館)

橘橋から見た「阿伎留」
秋川の名前の発祥の地


檜原村で唯一現存する
かつての貯蔵庫
 

小岩の八坂神社前の畑が「タメサダやしき」と呼ばれている。

 
   一度は訪ねてみたい、しかし正確な場所が分からない。そんな方に
   姉妹サイト  地名が教える古い檜原村の歴史の足音 がお応えします!
 
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